50年前の男性の喫煙率は8割超 昭和では「おしゃれ」だったタバコ 「たばこはカッコいい」が通用した昭和の記憶

50年前は「喫煙者は格好いい」と思われていました。写真は1960年代にジョン・レノンが喫煙している様子(写真:アフロ)

現在の男性のタバコの喫煙率は3割以下ですが、50年前はなんと8割以上もありました。喫煙者が多くいた当時は、街中のいたるところでタバコが吸えたそうです。いったい、どんな時代だったのか? コラムニストの服部淳氏が解説します。

2016(平成28)年7月28日、日本たばこ産業(JT)が毎年発表している「全国たばこ喫煙者率調査」において、男性の喫煙率が初めて3割を切ったと報告された。男女合計の喫煙率も19.3%と過去最低になった(2018年の調査では17.9%とさらに下落)。

喫煙者なら身に染みてご存じのことだろうが、現在の日本は交通機関、職場、飲食店などの室内はおろか、都市部では路上すら禁煙となっており(自宅のベランダですら隣人から煙たがられるご時世だ)、昭和時代を生きてきた喫煙者なら、なんとも肩身の狭い世の中になったと嘆いていることだろう。

この喫煙者率調査は、1965(昭和40)年(当時は日本たばこ産業の旧組織である専売公社が調査)から始まっており、現在までの喫煙者率のピークは、調査開始の翌年である1966(昭和41)年。男性喫煙率はなんと83.7%と高く、年代別に見ていちばん高い40代にいたっては87.3%と、健康に問題のない男性はほとんどが喫煙者だったといっても過言ではなさそうだ。一方で、女性の平均喫煙率は同じく1966年がピークで18.0%。2018年が8.7%だったので、それほど大差はない。

ここまで多くの喫煙者を生み出していた理由としては、「タバコは健康に悪影響」という情報が一般に知られていなかったこともある。健康先進国だったアメリカですら、公衆衛生局がタバコの危険性を訴えた「喫煙と健康に関するリポート」を最初に出したのは1964(昭和39)年のことだ。

そして、どこでもタバコが吸えたという社会環境も、喫煙者率が高かった要因であろう。タバコを吸うことに対して、ほとんど後ろめたいことなどなかったのだ(ひと昔前の海外旅行ガイドブックには、海外でタバコを吸うときには、周りの人に「吸っていいか」と尋ねようと書いてあった。それだけ日本では喫煙時に周囲を気にしなかったと言える)。

2019年には東海道・山陽新幹線の旧型700系が引退することから、喫煙車両を全廃することになりそうだが、新幹線が開業した1964(昭和39)年当時は全車が喫煙車両だった。非喫煙者や子どもが乗っているなか、窓を開けられない新幹線の車内は、モクモクと煙っていた(新幹線に初の禁煙車が設定されたのは1976年のこと。しかも自由席車に1両のみ)。また、東海道本線や山陽本線といったJR(1987年以前は国鉄)の中距離電車では、向かい合わせのボックス席の肘置きに灰皿がついていて、一部区間を除きタバコが吸えた。

中・長距離列車だけでなく、いちおう禁煙ではあったが、通勤電車であっても車内で喫煙する人はいた。日映科学映画製作所が公開している『こどもは見ている』という映像(フィクション)では、ボックスシートではない横並びの席の電車(東京の山手線や大阪環状線など)に乗っている男性が、新聞を読みながら平然とタバコを吸っているシーンがある。

全国視聴覚教育連盟第二回企画作品『こどもは見ている』より

その隣にはその男性の女児が座っており、その子の思いを声にして伝えている。

「うちのお父さんは、とてもいいお父さんだけど、電車のなかで、禁煙ですとスピーカーがいっているのに、平気でタバコを吸っています。こういうところは、私は、いけないと思います」

50年前の男性の喫煙率は8割超 昭和では「おしゃれ」だったタバコ 「たばこはカッコいい」が通用した昭和の記憶

映像の内容は、こういうことはマナー違反だからやめましょうというお芝居であるが、実際に吸っている人がいたから、このような場面を取り上げているわけだ。

電車内で吸えたのなら当然、駅でも吸えた。駅のホームは喫煙所ができて制限されるまでは駅のホーム全体が灰皿代わりだった。タバコのポイ捨てに対して喫煙者は罪悪感を持っておらず、電車が近づいてくると吸い殻を線路に投げ捨てるなんて光景も当たり前のように目にした。ラッシュアワーだろうが、電車を降りたらタバコに火をつけ、プカプカふかしながら階段を降りて改札を通った。さらに、そのまま地下鉄の駅まで下りていったものだ。

飛行機も国際線、国内線ともに喫煙席が設けられていた。機内は空気が乾燥していることもあり、喫煙席でひと眠りでもすると喉をやられることが多かったように記憶している。世界の多くの航空会社が全面禁煙を始めるのは1998(平成10)年ごろから。案外最近のことだ。

昭和時代の映画やドラマなどでは、仕事中もプカプカと喫煙するシーンが出てくる。それがまた格好よく(特に刑事ドラマ)、しかもうまそうに描かれていて、若者たちはその姿に憧れを持った。タバコを吸うのはおしゃれであり、タバコぐらい吸えないのは格好悪いことだった。

小学校でも教室でタバコを吸っている教師がいた。それどころか、くわえタバコで授業をする教師もいたという。学校にもよるだろうが、職員室はタバコで煙っていた。今思えば教育に非常によろしくない環境だったと言える。

レストラン、喫茶店も現在のように禁煙席などはなく、寿司屋のカウンター席でも平然とタバコを吸っていた。ほかにも病院の待合室には灰皿が設置してあったし、タバコを吸いながら診察をする医師がいたとも聞く。

映画館内(いちおう禁煙だったが)で映画を見ながら吸っている人もいて、ひどいときにはスクリーンが煙って見えた。要するに、ガソリンスタンドなど引火の恐れがあるところ以外なら、ほぼどこでもタバコが吸えた時代だったといえよう。

もう1つの喫煙率の高さの理由は、未成年の喫煙に現在では考えられないほど寛容だったことだ。誰でもタバコが買えた環境にあった。昭和育ちのなかには、親に頼まれてタバコを買いに行ったという人もいるのではないだろうか。

筆者は子どものころ、父への誕生日プレゼントとしてタバコを1箱贈ったことがあったが、1人で近所のタバコ屋さんに買いに行っても普通に売ってもらえたものだ(逆に「偉いね」などと褒められた)。

それは小さい子どもだけでなく、中高生ぐらいでも平気で売ってくれた店が少なくなかった。買うときだけではない。町中で喫煙している未成年者に対して、警官以外の大人はほとんど無関心だったと言える。

学校の教師ですら、見て見ぬふりをすることも少なくなかった。親戚のおじさんや近所のお兄ちゃんにタバコをすすめられるなんてことも普通にあったし、未成年の喫煙=悪と大人が厳格に捉えていない時代だった。

残念ながら昭和時代のデータは見当たらないのだが、「一般社団法人 中央調査社」が1996(平成8)年から2010(平成22)年までの未成年者の喫煙経験についてのデータを公開している。

中学男子で比較してみると、1996年は34.5%だった喫煙経験が、2010年では10.2%の3分の1まで低下している。狭い喫煙室に押し込まれて喫煙している大人たちの姿を見れば、未成年のタバコへの憧れも失うせてしまうというものだろう。